一人称視点の小説

ブリオッシュなどという、柔らかくて軟派なパンを食べつつこれを書いております。(笑)
1年前の私が見たら、びっくり仰天するかな?(笑)
パンを買いに行った時にピンと来たのがこれだったんだから仕方ない!

これまで、ライ麦パンや、全粒粉、サワードウなど、硬くて硬派なパンばかり食べていたのに、不思議〜とか言いつつも、私の場合、こういう転換はよくあります。きっとイスタンブール経由の一時帰国というエッピックジャーニー(壮大な旅)の影響ということにしておこう。

さて、前提を変える、前提から変えるというセッションをしていると、たくさん出てくる制限があります。それは、自分は有限の存在である、というものです。自分を有限の存在と見なしている、と言った方がわかりやすいかもしれません。

これ、どういうことか分かりますか?
有限の存在の反対は無限の存在であり、私たちは本来ならば無限の存在なのです。
と、言われて「そうそう!」と頷く方は少ないかもしれません。

無限は制限がない中で機能している状態で、有限は(言わずもがな)制限の中で機能している状態をさします。

どういうことかと言うと、有限の存在として機能している時は、誰かや何かの設けた制限(限界)の範囲内で生きている時のことです。
誰かや何かは、親兄弟などの家族(特に親)、学校の先生や友人、会社の同僚や上司時には部下、ご近所さんからその他の名前を知らない人や、テレビや雑誌などのメディアから、言葉、文化、学問など、様々なものを指します。
これは良し悪しの問題ではなくて、そういうものなのです。

もちろん、私たちはそれらの前提を押し付けられたのではなく、いつかの時点で「そうなんだ」と甘受したわけですが、例えば雑誌。
「この春は、〇〇で決まり!」みたいな見出しと共に、そのシーズンのトレンドが打ち出されますよね?そんな時、たまたまそのアイテムを購入したり、気に入って購入したりする場合はさておき、「それを持ってないと取り残された気がする」みたいに感じていたとしたら、それはその雑誌の設けた制限内で生息していることになり、故に有限の存在として機能していることになります。

私が使うツールの一つ、ボディーコードの中のエモーションコードにある60個の「囚われた感情のエネルギー」の中で、この「自らを有限の存在とみなす」ことを表す感情があり、前提のセッションをしている時はそれがたくさん出てきます。

セッションの中で、私はこのことについてこんな風に説明します。

無限の存在として機能している時、あなたは一人称視点で書かれた小説の主人公であり作者なんですよ、と。だから、どんな登場人物だってお好みのタイミングで登場させることもできれば、どんなストーリー展開だって思いのまま
有限の存在として機能している時は、そんなあなたが他の誰かの小説の中に登場する「その他の登場人物A」に甘んじている時なんですよ、と。

私たちはみな、自分たちの宇宙の中心にいるのに、時折、他人の宇宙に吸収合併されようとします。
その根底には間違った前提があります。

もちろん、進んでそうなる(吸収合併される)時もアリ。でも、それを知ると知らないとでは大きな差があるし、その根底にある前提さえ間違っていなければ鍵を握るのはあくまでもあなた自身だからです

(写真はブルーモスクの中。ステンドグラスのおかげで、室内に柔らかい七色の光が立ち込める。イスタンブールの写真の整理はまだまだ続きまーす。)

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